医学の変化

20世紀の最初の20年間に、それまで基本的には合衆国政府の監督を受けていなかった医学教育がにわかに注目されはじめました。


そしてアロパシー医が最大の政治的な影響力をもつようになり、アメリカ医師会(AMA)のもとに団結していくにつれて、他の学派はたちまち力を失っていきました。


AMAがとくに敵対意識を燃やしたのは、かれらが「ニセ医学」と呼んではばからなかった最大のライバル、オステオパシーであり、そのオステオパシーつぶしの戦略はほぼ成功裏に終わっています。


AMAの数かずの戦略のうちには、第一次世界大戦で政府がオステオパシー医に軍医としての出兵を認めるなら西洋医は軍医受諾を拒否するというものがありました。


その戦略は第ニ次世界大戦でも使われましたが、皮肉なことに、連邦政府とAMAが駆け引きをしているあいだにオステオパシー医が漁夫の利を得る結果になりました。


・・・というのも、銃後に残されたオステオパシー医に患者が集まったからです。


患者たちはM・Dの留守中にオステオパシーの治療を経験し、はじめてその効果を知るにいたったのでした。


・・・とはいえ、オステオパシーはまだまだその診療を制限または禁止していたさまざまな州法と戦わなければならなかったのです。


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