テレビ・ブームの爆発とその功罪 4
ブラウン管も5%14%インチの小型から、1950年には16インチが普通となりました。
一方、放送局も新設が解除されたので、凍結時の50局から、解除後の1954年には410局に達しました。
ラジオの場合と同じように全国的にネットワークが形成され、NBC、CBS、ABCは互いにしのぎを削ります。
・・・とくに熾烈な競争が展開されたのは、当初NBCとCBSの二大ネットワークの間でした。
サーノブとペイリーの両巨頭間の衝突は、しばしば新聞のゴシップの好飼となりました。
小柄でずんぐりとしているサーノブがいかにもロシア農民風なのに対し、ペイリーのほうは貴族的でハンサムな社交界の花形でした。
しかし、ペイリーがいつもサーノブに頭が上がらないのは、サーノブがRCAというビッグ・ビジネスの会長であるのに対し、自分は水商売ともいうべき放送会社の会長にすぎないことです。
何とかこれを出し抜くには、カラーテレビの開発と、TVセットの生産に進出することでした。
しかし、いずれもRCAに対して歯が立たず、多額の出費にもかかわらず、失敗に帰しています。