テレビ・ブームの爆発とその功罪 3

他方、同年の生産のほうは100万台近くに達しました。


これに対し1946年には6500台、1947年には17万9000台にすぎませんでした。


テレビ放送局の開設は、当初赤字が予想されたので、三大ラジオーネットワークの庇護のもとに、むしろゆっくりとした展開となり、15都市に24局が設立されたにとどまりました。


しかも同じ1948年9月には、テレビ局の新設は、1952年7月まではFCC(連邦通信委員会)の全国規模のチャンネル調整のため凍結されました。


この間テレビ放送は全国で66主要都市に限られ、受信範囲は人口の5分の3近くに抑えられました。


しかし、大量生産とともにテレビ・セットの価格も引き下げられ、品質もよくなったので、視聴者のほうは増えつづけたのです。


TVセットの所有台数は1950年には1000万台を超え、1955年には3300万台に達しました。

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