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2011年02月 アーカイブ

資本主義勝利のつけ 5

背景には、資本主義の生誕以来、政治的権力の主要な場となってきた国民国家がみずからの権限を上流と下流に向かって譲渡しつつあるという事態が存在します。


今日、国際政治に関しては、国民国家よりもマイナーな地方的権力(自治体、住民運動)が、意思決定権の主要な場となりつつあります。


この政治の無力化と対になって進行しているのが、ナルシスティックでエゴイスティックな個人主義の蔓延です。


今日、諸個人はもはや利害の異なる社会諸集団をいかに統合して、社会的統一をうちたてるかということに関心を抱いていません。


テレビ画面でみずからの幻想的な映像とたわむれ、自己自身の身体の管理に憂き身をやつしています。


コミュニケーション・メディアの発展や社会福祉の公的・私的サービスの増大を背景にして、ナルシスティックな個人主義が人々の意識に浸透していきます。


政治家は社会福祉を最優先の政策課題とし、この個人主義に媚びを売ることしか出来ません。


イデオロギーが衰退し、貨幣が万能の力を手に入れ、社会が統合力を失って分裂していく・・・。


そこに現出するのは、暴力的な混沌状態というきわめてペシミスティックな未来像なのです。


「豊かなものと貧しきものとの闘いは続くが、この闘いを決するのはただ暴力のみである」。


・・・これがある経済専門家の言葉です。


資本主義勝利のつけ 6

果たして活路はないのでしょうか。


専門家は、多くの個人が歯止めのない個人主義の危険性を自覚しないかぎり解決はない、と語っています。


私有化、メディア化、投機化、買収によって互いに分断され、競争状態に置かれた諸個人の間に新しい質の連帯とコミュニケーションを生み出すことは不可能なのでしょうか?


しかし、このような連帯とコミュニケーションを探り出す以外に、資本主義のゆきづまりを打破する道はないとされています。


今日、経済学、政治学、社会学などの分野で、この問題提起に応えようとするさまざまな試みがなされています。


米国のラディカル・エコノミックス、フランスのレギュラシオン理論は、戦後の高度成長を支えたフォード主義的な連帯と妥協が崩壊したあと、それに代わる新たな連帯と社会的合意を模索しています。


しかし、この理論的営みは経済学の分野でコッタの問題提起に応えようとする一つの努力だということが出来ます。


日本の資本主義は、勝利したコーポラティズム的資本主義にもっとも適合した社会として日本を特徴づけています。


逆に言うと、日本資本主義は、資本主義のペシムスティックな未来像の最先端をいくものとされているのです。


これは傾聴に値する指摘でしょう。


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